南部家戦闘記
まさか天下が陸奥の小大名、南部家によって統一されるとは誰が夢想しただろうか。
南部晴政一代が起こしえた偉業、その軌跡をとくとご覧あれ。
戦乱の中で挙兵し、天下統一を完遂したた北陸奥の中小大名・南部家。
これはそのときの南部家の軌跡を書いた戦闘記である。
南部のような中小大名で戦うときのお供にするなりなんなり。

注:このページは画像を使っているため非常に重いです。
ので画像が表示されるまでゆっくり待つか、ブロードバンド対応で見てくださいませ。



1550.4
南部家は本州の北端、北陸奥からのスタートとなる。
周囲に大勢力がないのは強みだが、時間をかけすぎると武田や上杉と言った大勢力が来る可能性もあるのがきつい。
また、開始時は3.9万石、臣従を合わせても5.0万石と弱小の部類。
だが、大勢力に隣接していないので望みは十分ある。
以前伊達家でやったときのような奥羽スピード制圧(1556年前後に奥羽を制圧し、南下開始)は無理かも知れないが、取りあえずは
「四国志全国版で奥羽、出来ることなら全国制覇」を名目上に進めることに。

始めは宿敵でもある安東を倒すべく北出羽、そしてゆくゆくは中陸奥と南出羽を同時進行できるようにしたいところ。
蝦夷地は石高が恐ろしいほどに少なく、交易が可能なアイヌ民族も居るので不干渉。
出来れば従属→臣従でいきたいところである。
また、東北地方は総じて石高が少ないので、暫くは従属志願は受け入れていく。
独立されると不利になるところ以外は滅亡させないように。理由は侵攻スピードを速めるために。
と言うことで、後方の憂いを絶つべく、中陸奥の陸奥斯波家、蝦夷の2勢力とは同盟を結ぶ。
ついでなので、陸奥畠山家には従属→臣従要求。同盟国も頻繁に従属要求を突きつけて行くつもりで。

先ずは浅利。そして安東をいち早く沈めるように兵を進める。



南部家周辺勢力初期配置


北陸奥初期配置。始めから北陸奥はほぼ支配下にある。
北出羽初期配置。宿敵の安東を始め諸勢力が乱立。
蝦夷初期配置。5つの城は城規模こそ低いが石高もまた然り。
中陸奥初期配置。伊達・大崎・葛西と当家と同規模の大名家が多い。 1552.5 浅利、そして安東の掃討中に同盟→従属→臣従で北出羽の諸勢力を全て併合し、思いがけず北出羽を制圧する形となった。 南出羽には小勢力が多いので同盟→従属→臣従で芋づる式に臣従勢力を作ることも可能だが、 現在当家は大崎・葛西と同盟を組んでおり、さらにこの一本道ルートは石高が高い城があるので兵糧攻めで直轄地とする。 第1の理由は直轄地の石高と総石高の比率。 現在、総石高35.0万石に対し直轄地は16.8万石とかなり低い。 中陸奥を完全臣従化すると更に臣従石高が増えるので出来るだけこのルートは抑えておきたい。 第2の理由としてこのルートで大名を臣従させるとのちに独立されると北出羽以北と以南でルートが遮断され、どうしようもなくなるため。 中陸奥を完全臣従化するとやはり侵攻ルートはここしかなくなるので。 兵力も十分増え、北方の諸勢力も併合したので後方の憂いは完全に絶った形だが、総石高トップである上杉家と近づいており、 上杉が宿敵・武田北条を攻略する前に同盟をするため総石高を上げていきたいところ。 危険な局面で、ミスは許されない。 ただ、上杉前線は上野の下部で、上杉領の越後は敵将がいないのでチャンスでもあるが・・・ 大宝寺とは同盟→従属→臣従をするが、上杉に臣従したら素直に同盟を結ぶ。 下手に上杉を触発したら大軍で攻められかねないのでゆっくりと。 追記:アイヌ民族はなかなか強硬で、従属しづらいので放置。 1552.5現在周辺勢力配置
北出羽。臣従が多いが制圧完了は想定外。
南出羽。北出羽と同じで諸侯乱立+初期状態から動きなし。
蝦夷。アイヌは強硬なので同盟保持。侵攻の必要性はなくなった。
中陸奥。不干渉のため動きはほとんどない。 1554.9 大宝寺は南部家に臣従し、また葛西・大崎両家も南部家に従属した。 大宝寺を臣従させた後は上杉領である越後北部を狙い、精鋭群を引き連れ進軍開始。 上杉が武田・北条を抑えている間に越後北方の臣従大名の城を占拠。 途中、新発田を攻めているときに上杉救援軍の来襲にあうが何とか退け、越後北部の制圧に成功。 石高も63.7万石、臣従込みで91.4万石と大きく躍進し、第4勢力まで上り詰めた。 若干南出羽侵攻軍の制圧速度が遅いが、奥羽に残る大きな敵は既に蘆名だけである。 相馬が岩城と戦闘していないので佐竹も北部には侵攻してきておらず、奥羽制覇は大きく近づいた。 頃合いを見て同盟国の伊達家を従属させ、蘆名を排して一気に南陸奥を制圧しに行く。 ただ、ここまで来ても未だに葛西と大崎が臣従を拒んでいる。まぁ確かに10万以上の直轄地があるから分からなくもないのだが。 上杉とは和解し、南陸奥にある勢力及び蘆名家の排除。 和解こそ出来なくとも、上杉は多方面に前線があるため対応に忙しく、攻められることは少ないはず。 途中、相馬→岩城か蘆名→白川のどちらかのルートは直轄地確保したい。 どちらが臣従志願して来るかによって展開が大きく変わるので。 また、大崎・葛西への臣従要求は繰り返し。石高差より大崎→葛西の順になるだろう。 1554.9現在周辺勢力配置
南出羽。進行速度が思ったより遅く、また蘆名家が伊達家より米沢城を奪っている。
越後中北部。新発田以北の上杉臣従大名家の領土を奪取。
1554.9現在の5大勢力。当家は上杉家を抜き第4勢力に位置する。 1555.11 数回の志願却下の後、杉目・黒川を占拠したので蘆名の従属志願を受け入れ、更に臣従させる。 黒川・杉目を制圧した時点で同盟国の伊達に従属→臣従で臣従させ、同時に国分も臣従。 途中、何度も葛西・大崎に臣従要求を突きつけ、大崎は臣従した。 しかしまだ石高17.2万の葛西が臣従を頑として拒否しており、どうもまだまだ時間がかかりそうである。そのため中陸奥の完全臣従化はまだの状態。 だが、蘆名と伊達の臣従により南陸奥の制圧はほぼ終了しており、後は残った小勢力を叩くのみとなった。 石高は92.2万石、直轄を合わせれば159.5万石で第2勢力までに成長した。 しかし、今川が縦に勢力を伸ばしており、またこのままだと武田・上杉、そして北条までもが飲み込まれかねない。 関東で均衡を保っている佐竹・里見・北条はそれほど対したことはないので、これらの勢力を併合し、今川に対抗できるだけの国力を持たないと道はない。 奥羽の制圧は近い。しかしこのまま天下統一へと乗り出せるか。 現在同盟を保持している相馬・白川との同盟を切り、同時に佐竹との戦線を開く。 上杉は武田・北条を抑えてはいるが何時朽ちるか分からない状況。 黒滝を押さえに走っても良いのだがそれをすると四方を敵に囲まれかねないので一応同盟は保持しておく。 石高では第2位なので今川以外はこちらから同盟を持ちかければほぼ成功する。 そのため越後には極力兵を割かずにする。 今川とは100万以上の差があり、今は戦線を開くときではない。同盟を持ちかけられたら素直に手を組むべき。 1555.11現在周辺勢力配置及び5大勢力制圧圏
南陸奥。蘆名・伊達の臣従により残るは小大名家のみ。
1555.11現在の5大勢力とその勢力範囲。朝倉・六角・今川は隣接していて、さらに相互不可侵。 1556.12 相馬、岩城、葛西を臣従させ、奥羽制覇は成った。 しかし、他勢力の成長具合と伊達家プレイ時の経験よりまだまだいけると判断。 現在、本隊は臣従勢力に見放され縮小した佐竹を攻め、同時に越後の臣従部隊に上杉攻めを任命。 途中、北条から同盟要請を受け、これを受ける。また、隣接と同時に壬生・鹿沼壬生の両家が鞍替え。 これによって石高は133.8万石まで増え、臣従を合わせると249.9万石。 第1勢力の今川は309.9万石。武田が従属したのは良いが、何故か攻勢には出てこない様子。 そして南部の下3勢力の大内は140.7万石、六角は136.5万石、朝倉は132.5万石。 それぞれ島津・三好・但馬山名が控えており、急激に勢力を伸ばすことは考えづらい。 少しゆっくり進んでも良いのだが、今川が武田を臣従させてしまったら遅いので苦しい展開になる。 しかし、従属とは言っても武田は67.0万石なのであまり心配はなさそうだが・・・ この局面で今川の侵攻停止はチャンスなので一気に勢力を拡大する。 上杉とは同盟→従属→臣従で支配下に置く。 下野は宇都宮と同盟破棄し併合。常陸は佐竹領を制圧後諸勢力を臣従させてそのまま下総の里見へと雪崩れ込む形を取る。 里見は恐れるに足りない地方勢力。兵力差で一気に押したい。 今川と同盟締結の使者が来たならば承諾し、自領の安全は十分確保する。 1556.12現在周辺勢力配置
常陸。この後佐竹などの中小大名家は従属・臣従志願か同盟→従属→臣従要求で当家の傘下に入る。
下野。最終的にはこの状態とほぼ変わらない勢力図となった。
越後中部。琵琶島を攻めているのは上杉より独立した越後北条家。 1558.3 相模北条家は我が南部家に従属した。 佐竹・里見等の諸勢力を吸収し、関東以北はほぼ完全に制圧下に置いた。 相模北条家は今川・南部両家に同時に叩かれて石高が半減。南部家に従属することとなった。 上杉が今川に臣従してしまったのは誤算だった(従属志願を受け入れておけば・・・)が、幸か不幸かそれによって今川が同盟を持ちかけてきた。 東日本は今川と南部によって平定されたが、西日本はまだ荒れている。 また、当家も今川によって進路をふさがれてしまったので、侵攻ルートが無くなっている。 石高は今川が183.7万石で臣従込みは420.1万石。 当家は直轄で165.3万石、臣従込みだと408.7万石。 他の六角・朝倉・大内3大名家はまだ200万石に達しておらず、そう言う意味では平定にはかなり近いところにいる。 しかし、その前に今川を何とかせねば・・・ 相模北条とは従属関係を維持。そのうち臣従させる。 本隊は関東から上野へ侵攻するルートを取る。 信濃で武田(今川従属・79.0万石)が頑張っており、同盟を破棄すると武田が相模北条に攻める形となる。 なるべく武田の領土を奪わずに、今川臣従家の領土を奪っていかなければならない。 (武田家は信玄を始め、優秀な武将が多いので滅ぼしたり今川臣下に加えるよりは鞍替えで従属させた方がよい。) 石高差はないとはいえ、辛い戦いとなる。少しでも戦いを楽にするべく今川本隊が六角領へ侵攻するのを待ち、兵を進める。 越後ルートは軍団に任せるのが得策か。 出来ることなら北条・武田両家を当家に臣従させたい。武田家が独立したら同盟を持ちかけておく。 今川家の直轄地は飛び地で、神保・土岐斉藤・上杉などの勢力が独立すれば分断され四面楚歌状態。 兵を整えて、早いテンポで今川領を抑えていきたい。 追記:未だにアイヌは強硬な姿勢を見せている。貿易しているのだから当然と言えば当然だが。 補足:このあたりまでは以前伊達家でやったときとほぼ同じ展開。 ただ、伊達家の時は武田が今川に臣従してたり、北条が滅んでたり、 5第大名の上杉と同盟状態+途中より朝倉も今川領に侵攻開始という様々な要因が重なって、俄然楽だったのだが。 1558.3現在5大勢力制圧圏
近江以北は今川と南部によって2分。信濃〜甲斐の赤点は今川従属の武田家、 武蔵〜伊豆の赤点は南部従属の相模北条家の領土。 近畿以西では六角と朝倉の領土が西方へ伸びている。 1561.3 当初考えていたより侵攻ペースは速い。相模北条家も当家に臣従した。 上野・武蔵の制圧は完了して関東以北は支配下になり、北陸・越後の別働隊も順調に兵を進めている。 しかし、神保・土岐斉藤が独立したにもかかわらず武田家が今川家から独立しないため、武田と同盟を組めず、思ったより相模攻めルートの侵攻ペースが遅い。 また、今川本隊と直接当たってはいないが、ふとした行動が今川本隊との戦いになる。 今川本隊は兵を7〜9万、鉄砲隊領配備の精鋭軍。当たれば間違いなく劣勢に陥る。 今川本隊と近づいたら今川と同盟を組めばいいのだがそれはさらなる侵攻ペースの鈍化に繋がる。 今は刺激を与えず、ゆっくりと領土を伸ばしていったほうがよいだろう。 近江以南では朝倉が急激に勢力を伸ばし、今川から独立した神保・土岐斉藤を従属。 さらに但馬山名・庄等も従属・臣従させており、このまま行くと毛利→九州といき不味いことになる。 幸い、進路を塞ぐ庄家がまだ従属なので望みはある。未だ侮れない勢力を持つ今川をなるべく早く打破しなければならない。 現在の当家は直轄が318.6万石、臣従込みで590.9万石。 今川家は直轄が193.7万石に臣従を込めると304.3万石と倍の差。 他今川は従属勢力の武田が56.8万石を持つが、こちらは大して問題にはならなさそうである。 今川家の直轄領が増えているのは独立した勢力から奪った領地。 上野は殆どが臣従勢力の領地で、直轄地が少なかったのも要因の一つだろう。 今川とは隣接しないように兵を進めているのである程度したら今川と一旦休戦。 今川の目は六角に向くが、その六角も現在は回りが同盟国ばかりなので今川が同盟を破棄した後に再び同盟締結は考えにくい。 今川主戦隊が六角前線につくのを見計らって同盟を切り、再び開戦。 鞍替えや従属志願があった場合は受けていく。ここからは進軍ペースが全てである。 武田家は武蔵戸倉に信玄を含めた主要将を集めた。戸倉からの侵攻ルートは1つで、 そのルート上に守備部隊を置けば武田家は武蔵滝山を攻略しない限り戸倉を出ることは出来ない(悪)。 1561.3現在周辺勢力配置及び5大勢力制圧圏
上から信濃・甲斐・相模。見てもらえれば分かるが今川本隊が信濃に駐屯。今川家を刺激せずに領土拡大中。 上野松井田を攻めているのは今川臣従の真田家。独立してから臣従させるのは無理と判断しこの後兵糧攻めで滅ぼしている。
1561.3現在の5大勢力とその勢力範囲。朝倉が急激に躍進、制圧圏縮小中の今川に迫る。 当家は相模北条家が今川に領土を奪われ、伊豆からの撤退を余儀なくされている。 六角・今川・朝倉は依然相互不可侵。 どうでも良いが、この3年の間に当家は遂にアイヌ民族の臣従に成功している。 1564.11 臣従大名に見放され、今川家は南部家に臣従した。 武田や松平と言った今川の臣従大名が次々と当家に鞍替えを申し出、さらに朝倉家も迫ったために今川家は弱体化、ついには当家に従属志願した。 また、朝倉に従属していた神保家が当家と隣接するやいなや鞍替えを申し出た。当然これを快諾し、臣従させている。 南部家が今川家の掃討をしている間に朝倉家は一気に勢力を伸ばし、中部を半分制圧、さらに四国にまで到達している。 しかし、今川家が臣従した今、当家は朝倉の倍以上の石高を誇るため、攻略は容易だろう。 今川を臣従させたため、実質東日本は南部家が平定。 このまま勢いに乗って、一気に西日本も平定する。 同盟を組んでいる朝倉と手を切り、六角と手を結んで朝倉を叩く。 能登からの侵攻ルートは臣従家も多いので軍団に任せ、本隊は美濃からのルートを取り、領土を分断する。 他方に戦線があるため少し叩いてやれば独立勢力や鞍替えが出始めるので攻略は容易。 九州地方はまだ大内と島津が同程度の石高で2分。どちらの大名家も最早当家の相手ではないのでどちらかが九州を平定する前に朝倉・六角を併合する。 この局面で六角を叩きに行くのも手だが、朝倉が六角と手を切り、六角領を奪うとやっかいなことになりかねない。 詳しいことは後々戦術論で語るが、ここで弱いからと六角を叩くのは下策。 1564.11現在5大勢力制圧圏
今川の縮小と当家への臣従によって今川以下の大名家の順位が繰り上がり。 これにより大内が5大勢力に復帰する。 朝倉家は土岐斉藤家を臣従させ、四国地方へと行軍開始。 この間、六角家が殆ど変化がないのは新たに制圧した城がないことと周囲が同盟勢力だらけだと言うこと。 そのため、六角は事実上活動不能ということになる。 1567.5 朝倉を軍団と本隊に分けて叩き、北陸から排斥。同時に六角へと攻撃を始めると、2ヶ月で従属志願。 これを快諾し、一度六角を臣従させるために周辺勢力の朝倉・大内・島津・雑賀・筒井と同盟を結ぶ。 全国に同盟圏が渡った後に六角を臣従させ、朝倉に従属要求を突きつける。 ・・・成功。予定外の結果に驚愕。 この六角と朝倉の従属→臣従で一気に中国部へ勢力圏を伸ばす。 その後に雑賀・筒井などの地方勢力を全て臣従させる。 六角・朝倉・筒井・雑賀・三好・細川京兆などの近畿部大名家を一気に臣従させ、瞬く間に勢力を西へ拡大する。この間5ヶ月。 終盤の寄せも最終段階。一気に天下統一へ向けて進む。 残った勢力は島津・大内のみ。 小勢力が畿内に残っているがこちらは本隊が直々にお出迎えしてやる。 同盟勢力は朝倉から独立した勢力で、これらを従属→臣従で配下に置く。 もう1つ臣従軍団を組織し、現存の臣従軍団と四国の島津と中国の大内に分けて侵攻。 従属・臣従は受けていく。ここまで来てわざわざ直轄地にするのは勿体ない。 自軍の領のうち679.1万石は直轄地だからだ。 また、南出羽で清水家の残党が発起しているがこちらは先に出た臣従軍団に鎮圧を任せてあるので問題はない。 1567.5現在3大勢力制圧圏
第4.第5勢力は当家臣従の朝倉と六角のため、事実上現在天下は3分されている状態。 この3年で島津が臣従大名家増加に伴い急成長。しかし直轄地の石高に殆ど変化はない。 現在赤点として残っているのは大分して以下の勢力。 九州・・・島津従属龍造寺家 中国地方中部・・・島津従属毛利家、当家と同盟中の朝倉独立大名家 畿内周辺・・・朝倉独立大名家(敵対含む)
当時の同盟状態。畿内に残る赤点は池田や沼田、別所などの敵対大名家。 中国中部にある赤点は独立大名の和智家で、当家とは接点もなく同盟は出来なかった。 朝倉独立大名家で同盟に成功した勢力はこののち従属→臣従要求で支配下に置いている。 この後、島津・大内両大名家とも、同盟を破棄する必要はなかった。 1568.1 さしたる戦闘もなく大内・島津とその臣従大名を従属→臣従させる。 残った2勢力のうち高野山門徒衆も当家に臣従志願し、この時点で天下統一はほぼ完遂。 この月に残党発起した清水が臣従志願し、天下統一は完遂した。
1568.1外交フェイズ時の最終局面。 南出羽・清水家以外は全ての大名家を臣従させた。 最終大名家データ等 プレイ年月:17年9ヶ月 直轄城数:158 直轄地石高:706万7761石 臣従込み石高:2363万0640石 武将数:85 捕虜・人質数:16 当家直属武将足軽総数:342190 当家直属武将騎馬兵総数:43030 当家直属武将鉄砲総所持数:6710(未配備多し) 当家直轄城城守護兵総数:224160 資金残高:6273720(軍団資金を徴収すれば1000万を超えるか) 当家航海技術:1052 当家鉱山技術:321 総船舶数:12 近江以南は3城を除きが臣従勢力の城。四国・九州・中国地方に直轄地はなし。 臣従勢力筆頭5大名家 島津家・・・直轄城数43 総石高161万9083石 武将数19 朝倉家・・・直轄城数41 総石高132万1785石 武将数51 六角家・・・直轄城数22 総石高106万8448石 武将数27 今川家・・・直轄城数15 総石高83万7693石 武将数22 三好家・・・直轄城数15 総石高58万0249石 武将数19 他、主力5大名家は大内家・毛利家・龍造寺家・雑賀衆家・筒井家。 端書き やはり序盤の侵攻ペースが物を言いましたね、かなり早い時点から上位に食い込み、その後一気に統一へ持っていった感じです。 始めこそ伊達家プレイ時とほぼ同じだったんですが、今川の排斥が終了した時点からさしたる苦戦もなく統一まで言ってしまったのは驚きです。 大勢力でもない限り普通は20年以上、長ければ30年かかってしまうこともあるわけですが、 今回は様々な要因が重なり、結果見事に20年かからずクリアしてしまい、ただただ驚くばかりです。 やはり西日本が諸侯乱立状態であったのが幸いしましたね。普通は西か東どちらかを統一すると もう片方も1〜3勢力によってほぼ統一がなされているか、3雄相打ち状態です。 それが今回プレイ時は朝倉・六角・大内・島津、他にも雑賀や筒井などの独立勢力が息を潜めていて、大勢力の成長が遅いか、殆どない状態でした。 事実上、大きな戦いは中盤の今川のみで、今川が臣従した局面で当家に匹敵する勢力が無くなってました。 戦国志は毎回大名の成長具合がが違い、今回運が絡んだ所も大きいですが・・・ 朝倉家との交戦後、戦闘もなく諸侯が臣従してくれたのは、やはり大きかったなと。 因みに、伊達家でプレイしたときは東日本統一の後、500万石前後の六角・島津と戦闘を繰り広げ、九州の独立諸勢力を臣従させる頃には70年代中盤でした。 序盤は、勢力の拡大スピードが全てです。 特に、今回は端からのスタートで、侵攻ペースには特に気を配りました。 外交戦略をフル稼働させて敵を少なくし、領土を増やし、同盟勢力を従属させる。 このサイクルに完全に乗ってしまえば後は攻めていれば自然に領土や武将が増えていきます。 また、序盤は特に直轄地の拡大に重点を置きましょう。 同盟勢力を従属させるのは今回の例で言うなら葛西・大崎などの開始時点で当家と同程度の領土を持ち、かつ攻めると時間がかかってしまう大名家。 極端な話、序盤は全ての大名家を滅ぼしながら進めていっても良いくらいです。 とにかく資金が必要になる中盤に備え、石高や徴兵数を確実に上げていきましょう。 出撃時の兵を調節したり、騎馬兵を雇わなかったり、城守護兵を削ったりして、出費を少しでも減らしましょう。 中盤は外交戦略もさることながら行動戦略も必要です。 自家と敵対家の石高差が自家が高いなら力押しでも良いですが、同程度か自家が低いようなら侵攻にも戦略が必要になってきます。 時間をかけても良いので少しずつ有利な局面に持っていき、兵力差が歴然となったら力で押す。 特に、敵対国に領地を増やさせないことが重要となります。 敵対大名の臣従大名家が鞍替え志願をし始めたら、その大名家は1年ほどしたら当家に従属か、他第3家に従属します。 鞍替え志願で陥落の時期を計るのが有効です。 終盤は大勢力同士の決戦になることが多いです。 特に、2大勢力決戦になると純粋に力が低い方が負けになってしまうので、自家が負け始めたら盛り返しは不可能に近くなります。 自家と他大名家の石高差が歴然ならば力で攻め、勝ちをもぎ取りましょう。 敵対大名家が負けに入った時点で、ヘマをやらかさなければ天下統一は限りなく近いと言えます。 また、今回の例のように敵対大名家が数多く、更に石高差的に考えて従属するレベルなら 「全ての勢力と同盟→石高の低い勢力から従属」が一番楽な手段となります。 こちらなら、残った小大名家を掃討すれば良いだけなのでかなり早い段階で天下統一を成せます。 最後に。鉄砲は今回の例でもあるように攻勢に出るなら事実上必要ありません。 極端な話、鉄砲はなくても天下統一を成すことは可能です。 ただし、空城の計をするなど守勢に出るなら配備すべきです。 鉄砲をばんばん撃ってるだけで、敵兵がばたばたと倒れていってくれるのですから。 (まぁ、今回は初期から5ヶ月待ちとか鉄砲生産可能国の占領地がないとか資金の問題とかで殆ど買わなかっただけなんですが・・・)