浅井家戦闘記
子の長政と比較するとあまりにも情けない能力の浅井久政。
暗愚とも評されそうなこの当主が、よもや天下に手を掛けるところまで行こうとは、誰が夢想しただろう。

浅井家。有史では織田信長と手を組み近江一国を制覇、領有したれっきとした群雄。
そんな浅井家は、後に朝倉家と手を組み織田家に反旗を翻す・・・
姉川の戦いは、戦国無双でも再現された有名な戦いである。

そんな浅井家だが、実は憐崎の思い入れは南部家の次に強い。
近江という大きな国、六角家を滅ぼした当主浅井長政の非凡な才能。
そして、自らの育った土地に本国を置いた、戦国大名・・・
一番は南部であるが、浅井家も雑賀共々他のゲームで何度かプレイしたことのある、思い入れの強い勢力である。

しかし、雑賀・南部・浅井共に、CPUではどうしても強いところまでは行かない。
やはり歴史にその名を連ねる群雄が至る所でその強さを誇示してくるのである。
浅井家だって群雄なのに、ゲームをしていると早期に六角に滅ぼされることが多い・・・

まぁ名目はともあれ。
SE版になって何度かプレイしてきて、感覚は大体つかめてきた。
そこで、この浅井家で天下統一を狙ってみることにしよう。

なお、このページ『が』コンテスト参加ページです。

1550.4

浅井家・初期配置周辺戦略図。 北には朝倉、東には斉藤、南には六角が居座る。
まずは、初期の同盟関係。
朝倉・京極と不戦協定、従属大名家はなし。従属がないので兵は自由に使えるが、不戦協定がこれではちと心もとない。
周囲には六角・斉藤・細川京兆、遠方には今川・三好が控える。
畿内制圧には遅かれ早かれこれらの勢力と対峙する必要が出てくる。
そこで、初期進撃路として以下が考えられる。

・六角と手を組み、斉藤を攻略(美濃進撃路)
・斉藤と手を組み、六角を攻略(近江平定路)
・六角・斉藤と手を組み、朝倉を攻略(北陸進撃路)
・六角・斉藤と手を組み、朝倉同盟維持、西方から山城へ進撃する(畿内進撃路)

初期段階として六角・斉藤とどちらも同盟できる可能性はかなり低いため、恐らくは近江平定路になる。
いきなりの厳しい展開だが・・・ どうにかなると信じたい
初期段階における勢力別順位
勢力順位(支配率) 13103250/総石高
臣従含石高順位 上:直轄石高 中:臣従含 下:直轄城
大内家 0.34%
4.71%
0.33%
45000
617500
2
北条家 2.48%
3.17%
2.84%
325000
415000
17
本願寺 2.06%
3.11%
1.17%
270000
408000
7
上杉家 1.38%
2.85%
1%
181000
373000
6
今川家 1.6%
2.75%
1.34%
210000
360000
8
大友家 1.45%
2.68%
1.84%
190500
351000
11
三好家 1.82%
2.34%
1.84%
239000
307000
11
朝倉家 1.85%
2.23%
1.17%
242000
292000
7
山内上杉家 1.09%
2.22%
0.5%
143000
291000
3
織田家 1.92%
2.11%
1.34%
252000
277000
8
武田家 1.26%
1.98%
1.17%
165000
260000
7
六角家 1.47%
1.92%
0.84%
192000
252000
5
河内畠山家 1.05%
1.85%
0.84%
137000
243000
5
里見家 1.14%
1.82%
0.84%
150000
238000
5
細川京兆家 0.46%
1.81%
0.5%
60000
237000
3
☆浅井家(23位) 1.2%
1.2%
0.84%
157000
157000
5
初期段階における勢力別順位は、左表の通りである。
大量の臣従勢力を擁する大内家は、自家領が貧弱にもかかわらず臣従勢力の結束で第一勢力として君臨する。
その性質上序盤で衰退するのか。それとも西国の覇者たりえるのか。

上位十五勢力にその名を連ねる武田家・今川家・北条家は互いに不戦協定を結んでいる。
武田家は信濃から宿敵・上杉家に、北条家は武蔵から宿敵・佐竹家と里見家、そして上杉家と対峙する。
里見家・佐竹家・上杉家がこの二勢力をどこまで押さえられるかが東国覇権の鍵を握る。
その大勢力同士の狭間に位置する山内上杉家はどう身を処すのか。

互いに十代勢力に属する織田家・今川家は互いに尾張〜駿河一帯の覇権をかけて対峙する。
宿敵同士、ここの動きがどのような形で終結するかも東国の情勢に大きくかかわるであろう。
北陸、宿敵同士の朝倉家と本願寺もまた、加賀・越前一帯の覇権をかけた激戦を繰り広げるだろう。
畿内では宿敵同士の三好家と細川京兆家が戦う。どちらも勢力基盤は畿内から四国東部一帯。
横長の政敵同士の戦いは、どちらに軍配が上がるのか。

そして土着勢力の存在も忘れてはいけない。
畿内では北近江の浅井家、南近江の六角家が覇権を十分狙えるポジションに位置する。
そして北九州には大友家が、南九州では島津家がそれぞれ一大勢力を築き上げている。
そして地方でも毛利家と尼子家のように宿敵同士の争いが勃発する。

混迷を極める構図から、抜け出すのはどこの勢力か。
浅井家の歴史(1550.4〜1552.6)
1550年4月 ゲーム開始
1550年4月 京極家を従属させる。 浅井家の打診により斉藤家、六角家と不戦協定締結。
        新庄家と開戦する。
1550年5月 京極家の臣従化に成功。
1550年7月 交戦中の新庄家より臣従志願の使者が来訪するが、却下する。
1550年9月 新庄家本城、新庄城の攻略に成功する。新庄家滅亡。
1550年10月 細川京兆家と開戦。著戦となるこの月の野戦は細川京兆家に敗退する。
1551年2月 浅井家の打診により隣接した若狭武田家と不戦協定締結。
1551年9月 交戦中の細川京兆家から和睦、不戦協定の打診の使者が来訪するが、却下する。
1552年5月 領土が隣接している三好家から不戦協定の打診の使者が来訪。承諾し不戦協定締結。
        細川京兆家、近江の最後の所領である大津城の攻略に成功する。細川京兆家、四国へ撤退。
1552.6

1552年6月開始時。六角は伊勢へ、斉藤は飛騨へ、朝倉は加賀へと進出中。
初期状態で首尾よく六角家と手を結ぶことに成功。
斉藤家とも手を組み、後顧の憂いを完全に立った浅井家は新庄上方面より畿内へ向けて進撃。
途中、細川京兆家に野戦で破れたりするなどのもたつきがあったが、無事細川京兆家を近江から排斥することに成功する。
これにより総石高で17位に浮上する。
実は、中尾城も攻略するつもりだったのだが・・・
包囲軍の三好家当主・三好長慶の謀略に悩まされ、結局は諦めざるを得なかった。
5万石をみすみす見逃すのはかなり痛い選択であったが、相手はあの三好。仕方がないか・・・

●第一Mission『近江制覇』

首尾よく北近江を制覇した浅井家だが、周囲は完全に列強に囲まれてしまった。
南近江には伊勢へと進出している六角がおり、畿内への進撃路には強豪三好家が居座る。
また、美濃方面は飛騨から急速に北に勢力を拡大している斉藤が、越前には本願寺と激戦を繰り広げる朝倉が、それぞれ控える。
唯一安全な進撃路は若狭から畿内を目指すルート・・・
だが、こちらは大内家が海伝いに急速に畿内へと向かっているため、隣接すると危険。

ここで、六角家に目をやってみると・・・
本隊は伊勢で城攻め敢行中ではありませんか。しかも1ターンで帰還出来ない位置。
近江から六角家を排斥するチャンス到来である。

他国との同盟は維持しつつ、北畠の掃討に当たっている六角を大津城から一気に攻め立てる。
瀬田城さえ落とせば隣接する城数が一気に増えるのでこちらのもの。
まずは瀬田城を一気に落とす。その後は流れ次第というところか・・・
1552年6月における勢力別順位(括弧内矢印・数字は前回との順位比較)
勢力順位(支配率) 16897480/総石高
臣従含石高順位 上:直轄石高 中:臣従含 下:直轄城
大内家(←) 1.02%
6.04%
1.51%
172242
1019872
9
上杉家(↑2) 2.04%
4.79%
1.51%
344213
809166
9
大友家(↑3) 2.36%
4.08%
3.01%
398958
690033
18
武田家(↑7) 3.12%
3.87%
2.68%
528027
654337
16
北条家(↓3) 3.22%
3.75%
3.18%
544673
634498
19
織田家(↑4) 3.09%
3.49%
2.17%
522262
589865
13
六角家(↑5) 1.89%
3.23%
1.34%
319737
545507
8
三好家(↓1) 2.17%
3.01%
2.34%
365928
508128
14
河内畠山家(↑4) 1.43%
2.82%
1.17%
242270
476007
7
毛利家(↑8) 1.56%
2.73%
1.84%
263716
461573
11
島津家(↑14) 1.23%
2.68%
1.67%
207961
453124
10
今川家(↓7) 1.54%
2.65%
1.34%
259501
448297
8
斉藤家(↑3) 0.67%
2.65%
0.84%
113713
447210
5
本願寺(↓11) 2.11%
2.58%
1.34%
356864
435828
8
朝倉家(↓7) 2.04%
2.24%
1.34%
344157
379085
8
☆浅井家(↑6(17位) 1.86%
2.06%
1.67%
315060
348762
10
各勢力、少しずつ勢力を伸ばしつつある。
武田家・島津家・毛利家は一気にランクを伸ばす。特に島津家は多くの群雄を抜き去り25位から11位へと一気に躍進している。
トップは大内家で変わりなしだが、上杉家・大友家がランクを上げ、特に上杉家は大内家に迫らんが勢いである。

一方で上位陣の中でもランクを一挙落とした勢力もある。
特に本願寺は一気に11ランクも落としており、総石高では宿敵・朝倉家にも負けてしまっている。
その朝倉家も十勢力から蹴落とされ、今川家・北条家も多少伸び悩む。
初期状態でランク内にいたはずの山内上杉家・細川京兆家は衰退。

九州では島津・大友という二勢力が台頭し、近々激突するだろう。
中国地方では急速に力をつけた毛利家と、大内家の動き次第で大きく変化する可能性が高い。
四国地方はいまだ小規模な争いが続く。統一覇者となるのはどこか。それとも大勢力に飲まれてしまうのか。
畿内では三好・六角・河内畠山家が台頭。地味ではあるが淡々と勢力を広げる浅井家の存在も忘れてはならない。
中部地方は朝倉・斉藤・織田が台頭か。北陸戦線の勝敗はいまだ見えないものの、情勢は朝倉に傾きつつある。
関東甲信越では上杉が伸びを見せる。今川・武田・北条の互いの動向にも目が離せない。
しかし、東北はいまだに覇権が定まらず。

四国・東北を除き、勢力が台頭を始めている。
四国・東北では統一覇者は出るのか。これからの展望に目が離せない。
浅井家の歴史(1552.6〜1554.10)
1552年6月 浅井家、六角家との不戦協定を解消。瀬田城へ攻撃開始。
1552年9月 交戦中の六角家から和睦、不戦協定の打診の使者が来訪するが、却下する。
1553年1月 瀬田城包囲軍(六角家)と救援軍(浅井家)が野戦。両家20000前後の兵による同規模、最大規模の戦であったが、1000丁以上の鉄砲を擁する浅井家が勝利を収める。
1553年5月 浅井家、六角家の瀬田城〜観音寺城を攻略、総石高逆転。 総石高上位10大名家にランクインする(第9位)
1554年1月 比叡山門徒衆残党が浅井家領・比叡山に武装攻撃を開始する。
        浅井家、比叡山門徒集の叛乱を鎮圧する。
1554年2月 若狭武田家を従属させる。 浅井家の打診により粟屋家、一色家、但馬山名家と不戦同盟締結。
1554年3月 若狭武田家の臣従化に成功、一色家及び一色家従属大名家、粟屋家を従属させる。 
        浅井家の打診により逸見家と不戦協定締結。
1554年4月 同盟国の但馬山名家、大内家に従属。
        一色家、沼田家、粟屋家の臣従化に成功、逸見家を従属させる。
        浅井家の打診により奈佐家、大内家と不戦協定締結。
1554年5月 逸見家の臣従化に成功。
1554年9月 仁木家、六角家から浅井家へ鞍替え志願。承諾し、さらに臣従化に成功する。
        浅井家の打診により伊賀惣国一揆、関家と不戦協定締結。
        六角家の近江最後の所領日野城を攻略。六角家本隊は伊勢へ退却。
1554.10

1554年10月の伊勢情勢。六角に組する者もいるが大局は未だ決まらず。

●第一Mission『近江制覇』完遂

2年がかりで南近江を制覇することに成功する。
瀬田城を早期に落とすことに成功した浅井家はその後、永原城方面から観音寺城へと兵を進める。
観音寺城の制圧によって総石高数は逆転し、佐和山城を落とした後に南の三雲城から進軍。
最後に日野城に19人の六角家武将を閉じ込め、兵糧攻めで一ヶ月で制圧。
これにより近江から六角勢力は排斥され、肥沃な近江一帯をほぼすべて浅井家の管轄下におくことに成功した。
この間、北方若狭から丹後にかけての諸勢力を吸収し、勢力版図を一気に伸ばす。
これにより、総石高も100万石を突破し、浅井家は無事十大勢力への仲間入りを果たした。

●第二Mission『伊勢制覇』

近江で支配権を確立した浅井家。
しかし、地方で多くの勢力が台頭し始めている。
それらの勢力に対抗するには、まだ国力が足りないのが現状である。
事実、筆頭大名家である大内家とはまだ総石高で60万石も水をあけられているのである。
これらの勢力に対抗する力をつけるために、群雄割拠する伊勢へと進出を図る。
伊勢は土地も肥沃であり、直轄に出来ればかなりの国力の増大を図ることが出来る。
群雄割拠しているという点も重要。南近江制覇よりよりスピーディな進軍を行うことが可能である。
早い段階で伊勢を制覇して地盤を固め、畿内進出への足がかりとしたいところである。


各地で、勢力が台頭を始めている。
九州においては大内家と結んだ大友家と島津家が戦闘中。第三勢力・大友家優勢。
中国地方では第一勢力の大内家が山陰から諸勢力を併合し、畿内進出を目論む。
その筆頭大名家である大内家からの宣戦布告を受け、備前・美作を制覇した備前浦上家が勝負を挑む。
一方、山陽では大内家・大友家・三好家と手を結んだ第十勢力・毛利家が庄家をほぼ壊滅させ、四国への進出を果たしている。
畿内では群雄が割拠する中、いち早く後顧の憂いを立った第四勢力・三好家、六角家を近江から排斥した第五勢力・浅井家、河内から紀伊を平定した第七勢力・河内畠山家が台頭。
三好家は大内家従属大名家の但馬山名家、浅井家及び河内畠山家は群雄割拠する伊勢への進出を図る。
中部地方では浅井家・朝倉家・斉藤家が三国同盟を結び、それぞれ朝倉家は加賀、斉藤家は越中へと進出している。
その斉藤家と結んだ織田家が、ゲーム開始直後から今川家と熱戦を続けている。第八勢力・織田家優勢。
関東・甲信越では武田・北条連合軍が宿敵・上杉家に挑む。武田・北条家連合軍の優勢か。
東北地方はまだ小勢力が乱立し、統一の兆しは見えない。抜け出るのはどの勢力か。

石高別に見ると、六角を近江から排した浅井家が大躍進を遂げている。
上位陣は早期に肥沃な大地に戦略基盤を固めることに成功した5勢力が占める。
一方で、武田家は信濃を、河内畠山家は紀伊・大和を制しているものの、順位は意外に低い。
大内家も破竹の勢いで畿内へ向けて突き進んでいるものの、2番手に復帰した北条家の追い上げは近い。
しかし、いち早く100万石を突破した上位五大名家も拮抗しており、まだ順位が定まったわけではない。
ここからは大勢力同士の潰しあいも始まるようになる。生き残れるのは、どこの大名家か。
1554年10月における勢力別順位
勢力順位(支配率) 20128360/総石高
臣従含石高順位 上:直轄石高 中:臣従含 下:直轄城
大内家(←) 2.19%
8%
3.19%
441311
1610271
19
北条家(↑3) 5.61%
6.54%
4.54%
1130085
1317224
27
大友家(←) 3.53%
5.98%
4.2%
709896
1204227
25
三好家(↑4) 3.57%
5.78%
3.7%
718861
1164302
22
☆浅井家(↑12) 4.03%
5.28%
3.19%
811250
1062828
19
上杉家(↓4) 1.89%
4.42%
1.51%
380547
890010
9
河内畠山家(↑2) 2.38%
4.27%
2.02%
478855
858584
12
織田家(↓2) 3.4%
3.86%
2.18%
683862
776431
13
武田家(↓5) 2.96%
3.74%
2.69%
596482
753787
16
毛利家(←) 2.02%
3.54%
2.52%
405591
713521
15
斉藤家(↑2) 0.93%
3.24%
1.18%
186405
652545
7
今川家(←) 1.72%
2.99%
1.34%
346236
600991
8
佐竹家(↑3) 1.58%
2.97%
1.18%
317115
596963
7
朝倉家(↑1) 2.74%
2.94%
2.02%
552176
592176
12
島津家(↓4) 1.22%
2.67%
1.68%
246523
537892
10
浅井家の歴史(1554.10〜1556.6)
1554年10月 奈佐家、伊賀惣国一揆を従属させる。
        浅井家、関家との不戦協定を解消、攻撃開始。
1554年11月 奈佐家、伊賀惣国一揆の臣従化に成功。
1554年12月 関家本城、伊勢亀山城の攻略に成功する。関家滅亡。
1555年1月 朽木家残党が浅井家領・朽木谷城に武装攻撃を開始する。
        浅井家、朽木家の叛乱を鎮圧する。
1555年2月 浅井家の打診により神戸家、長野工藤家と不戦協定締結。
1555年3月 交戦中の六角家より従属志願の使者が来訪するが、却下する。
1555年8月 交戦中の木造家から臣従志願の使者が来訪。これを承諾する。
1555年9月 浅井家、長野工藤家との不戦協定を解消。攻撃開始。
        交戦中の六角家より臣従志願の使者が来訪するが、却下する。六角家は河内畠山家に臣従。
        六角家本城、松坂城の攻略に成功する。六角家滅亡。
1555年10月 長野工藤家本城、長野城の攻略に成功する。長野工藤家滅亡。
        開戦から2ヶ月で安濃津城・長野城の二つの城を攻略という、脅威の侵攻スピードであった。
1556年1月 三好家から宣戦布告を受けた河内畠山家から不戦協定締結の使者が来訪。これを承諾する。
1556年5月 神戸家の海上封鎖による攻略を諦め、同家を従属させる。
        浅井家の打診により織田家と不戦協定締結。
1556.6

1556年6月の山城周辺情勢。山城は地理的にも三好攻略の重要な拠点となる。

●第二Mission『伊勢制覇』ほぼ完遂
河内畠山家の志摩進出、軍船の不足により思いのほか海路攻略などにてこずる。
その結果、田丸城まで河内畠山家の進出を許してしまい、しかも神戸家を攻略できずに臣従させるという事態に陥る。
三好家が畿内平定に王手をかけるために河内畠山家の攻略に入ったのを受けて、これ以上の伊勢滞在は愚策と悟った浅井家は、本隊を急ぎ近江に呼び戻した。
だが、伊勢の大部分を制覇できたことはこれから先待ち受ける三好家との戦いをかなり有利に進められるのではないだろうか。

●第三Mission『三好家攻略』
六角家との開戦に続き、ここで浅井家第二の山場が到来する。
同盟国・河内畠山家の支援及び畿内進出のために、摂津〜山城の三好家勢力を排斥、畿内統一に最大限の力を注ぐ。
六角家の多くの武将を配下に出来たことで武将数・兵士数も十分なほど上回りを見せている。
総石高ではかなり水をあけられているものの、直轄地石高は同程度。しかも本隊は河内畠山家へ向いているので一挙攻勢に出れるのもひとつの強み。 三好家を攻略、河内畠山家は従属させることにより畿内の支配権を確立し、今後控えるであろう西国の雄、大内家と大友家との戦闘に備える。
まずは山城の平定に全精力を注ぎ、そこから本隊は摂津、陽動部隊は丹波→大和へと進撃。
摂津の一方通行のあたりが激戦区になるであろうことは必須。そこを利用して何とか有利に戦える体勢に持っていけないものか・・・
三好家には謀将・松永久秀や三好長慶が控えるが、伊勢惣国一揆の百地三太夫(智謀9)を迎えた浅井家にとっては怖くない。
以下に山城を手早く抑えるか。そこにすべてをかける。


各国を取り巻く情勢に、変化が生まれつつある。

九州・中国地方では毛利家が島津家の排斥に手間取る大友家に宣戦布告。
しかし、山陰から大部分の国を従属させ、進路がない大内家がどう動くか・・・

畿内でも情勢に変化が生まれている。
周囲国を完全に取り込んだ三好家が河内畠山家に宣戦布告。総石高で一位へと躍進するが、伊勢でにらみ合いを続けていた河内畠山家と浅井家が和睦。
河内畠山家は本隊を紀伊に呼び戻し、さらに三好家の勢力拡大に危惧を覚えた浅井家が不戦協定を破棄、三好家vs浅井・河内畠山連合という構図が完成する。

関東甲信越においては武田・北条連合軍が上杉家を滅亡へと追い込む。
武田家は混迷深まる東北地方へ、北条家は関東地方の統一へと、それぞれ動く。
列強同士の争いが勃発し始める、中部・北陸は動きが緩やか。
織田家・今川家の戦況は膠着状態、宿敵加賀本願寺を壊滅させた朝倉家は能登畠山家と争う。
斉藤家は神保家の強硬姿勢(従属状態)により、進路がなく変化はない。

石高では、三好家が上位三勢力を押しのけ、首位へと浮上。
大内家は開始以後ずっと守り続けてきた王者の椅子をここで明け渡すこととなる。

上位5勢力の成長はめまぐるしく、5位の浅井家と6位の武田家の間にはなんと50万石も差が開いてしまっている。
また、ここまでずっと5位に甘んじている浅井家も4位の大友家に肉迫する。
宿敵との戦闘を追え、国力を充実させつつある毛利家・朝倉家・武田家も、虎視眈々と浅井家が守るベスト5の椅子を狙う。
特に、上杉家領であった越後をそのまま飲み込んだ武田家が今後どのように動いてくるのか。
ベスト5も、まだ完全に定まったわけではなさそうである。

また、ここで九州戦線の難を逃れている阿蘇大宮司家がベスト15へと名乗りを上げた。
上杉家の敗退により上位の椅子がひとつ空いたことも大きいが、やはり地味に勢力基盤を広げているのもその要因のひとつだろう。

そして互いに争うことを避けてきた上位勢力がついに覇権を巡り争いを開始する。
覇権はどの大名家に納まるのか。大陸の情勢はいまだ混迷を続けている。
1556年6月における勢力別順位
勢力順位(支配率) 21540717/総石高
臣従含石高順位 上:直轄石高 中:臣従含 下:直轄城
三好家  (↑3) 5.21%
11.48%
5.18%
1121678
2473712
31
大内家  (↓1) 2.54%
9.8%
4.01%
547291
2111717
24
北条家  (↓1) 6.42%
8.29%
5.35%
1382603
1786218
32
大友家  (↓1) 4.92%
7.58%
5.69%
1059711
1632457
34
☆浅井家(←) 5.89%
7.51%
4.35%
1268068
1617461
26
武田家  (↑3) 4.37%
5.47%
4.01%
941723
1177745
24
毛利家  (↑3) 2.99%
4.97%
3.51%
644843
1070981
21
織田家  (←) 3.54%
4.07%
2.17%
763408
875726
13
朝倉家  (↑5) 3.38%
3.56%
2.51%
727586
766936
15
今川家  (↑2) 1.82%
3.18%
1.34%
391579
684441
8
河内畠山家(↓4) 2.04%
3.13%
1.67%
440088
673558
10
斉藤家  (↓1) 0.85%
3.06%
1.17%
183269
658636
7
佐竹家  (←) 1.53%
2.84%
1.34%
329266
611144
8
島津家  (↑1) 1.44%
2.08%
1.51%
309705
447240
9
阿蘇大宮司家(↑2) 1.56%
2%
1.51%
336777
429846
9
浅井家の歴史(1556.6〜1558.10)
1556年6月 浅井家、河内畠山家と交戦中の三好家との不戦協定を破棄。攻撃開始。
1556年12月 浅井家の打診により河内畠山家から独立した田丸家と不戦協定締結。
1557年1月 浅井家の打診により河内畠山家から独立した九鬼家と不戦協定締結。
1557年3月 交戦中の三好家から和睦、不戦協定締結の使者が来訪するが、却下する。
1557年6月 交戦中の三好家から和睦、不戦協定締結の使者が来訪するが、却下する。
1557年10月 山中家残党が浅井家領・山中城に武装攻撃を開始する。
        浅井家、山中家の叛乱を鎮圧する。
1558年9月 浅井家、筒井城の攻略により三好家と浅井家、総石高で逆転。
        2年かけて、山城全域、丹波・大和・河内・摂津の一部まで領土を拡張した。
1558.10

1558年10月の畿内周辺情勢。武将数で圧倒的に勝る三好家にかなり苦戦中。

●第3Mission『三好家攻略』遂行中
2年5ヶ月の間にわたり、武将数で圧倒的に劣る浅井家は兵力と部隊の立ち回りで優勢を維持していた。
著戦で一挙山城を攻略した浅井家だが、そこから進軍ペースが遅くなっていく。
現在は前線の茨城城・交野城・池田城・興福寺に攻めかかる三好家を落とされないようで維持しつつちまちまと攻略を進めている。
捕虜になった武将がなかなか寝返らないのも侵攻ペースの鈍足化の一因。武将が散らばるCPUの特性が、ここに来て重い形でのしかかっている。

それでも総石高で相当水をあけられていた三好家と拮抗、ついには逆転に成功。
武将さえ増えれば兵力の維持は十分可能なまで、国力は高まっている。後は武将の数が増えることを祈るのみ・・・
畿内はいち早く覇権争いに突入した。他勢力が畿内まで手を伸ばしてこないうちに、三好家を四国へ撤退させたいところだが・・・
北で勢力を伸ばす武田家を如何に捌くか。どうやら畿内を制した後は東進になりそうである・・・



1558年10月における勢力別順位(10位以下の臣従除く)
勢力順位(支配率) 22726724/総石高
臣従含石高順位 上:直轄石高 中:臣従含 下:直轄城
武田家(↑5) 7.28%
17.17%
6.52%
1654271
3903151
39
大内家(←) 4.21%
12.66%
6.19%
957502
2876560
37
北条家(←) 8.3%
11.38%
6.86%
1886206
2585831
41
大友家(←) 6.09%
11.27%
6.69%
1384248
2560927
40
☆浅井家(←) 8.63%
10.3%
7.02%
1960916
2340505
42
三好家(↓5) 4.77%
10.08%
4.68%
1084299
2291871
28
織田家(↑1) 3.71%
4.26%
2.34%
844105
968393
14
朝倉家(↑1) 3.43%
3.79%
2.68%
779208
861548
16
斉藤家(↑3) 0.82%
3.02%
1.17%
186529
686430
7
千葉家(↑6) 2.1%
2.46%
2.17%
476391
558826
13
阿蘇大宮司家(↑4) 1.61%
2.07%
1.51%
364865
470378
9
島津家(↑2) 1.46%
2.03%
1.34%
332248
460504
8
ついに、各地に列強同士の争いを勝ち抜いた6強が台頭した。
九州〜山陽にかけては大友家が期せずして大内家との共同戦線となり、毛利家を打ち破った。
中部〜畿内周辺にかけては大内家があらかたの大名家を従属させたものの、まだ心服していない大名家も多いのが事実。
ところ変わって東では武田家が東北勢力を飲み込んで急速にその力を拡大。北条家も関東制覇を着々と進めつつある。
東部・西部では大内・大友と武田・北条の二大同盟勢力が台頭し、虎視眈々と中央への進出を狙う。
一方中央では浅井家と三好家の覇権を巡る争いが未だに続く。
開戦時の劣勢をうまく凌いだ浅井家であるか、武将数で圧倒的に劣る三好家に対してどう立ち向かうのか。
中部地方ではここ数年の間平穏が続いているものの、大国北条・武田の前にどう立ち向かうのか。
一方、西を制した大友・大内はどう動くのか。三好と開戦、浅井に宣戦布告、それとも・・・

さて、天下に残り、覇を唱える大名家も残すところ12勢力となった。
(陶家・備前浦上家は大内家に、佐竹家は武田家に臣従)
この間で大躍進を遂げたのは千葉家。旧里見家領を合併し、遅まきながら天下を狙う大名として名乗りを上げる。
また、武田家も忘れてはならない。東北を制した武田家は上位5勢力を一気に抜き去り、首位にのし上がったのだ。
一方で、それまで首位の座にいた三好家は浅井家との戦いの中でその領地を徐々に失い、元武田家のポジションまで後退する。

大内家は従属家・但馬山名家を、大友家は島津家・阿蘇大宮司家を、北条家・武田家は千葉家を近くに抱える。
これらの大名家は独立、もしくは従属状態を守りきることが出来るのだろうか。

混迷の中で抜け出た6勢力。どの勢力が天下を握るのか、それはまだわからない。
浅井家の歴史(1558.10〜1560.8)
1558年10月 田丸家・河内畠山家を従属させる。
1559年1月 田丸家・神戸家の臣従化に成功。
1559年6月 浅井家の打診により斉藤家より独立した安藤家・氏家家・稲葉家・土岐斉藤家と不戦協定締結。
1559年7月 柳生家残党が浅井家領・山中城に武装攻撃を開始する。柳生宗厳、三好家より呼応。
        浅井家、柳生家の叛乱を鎮圧する。
        氏家家を従属させる。
1559年8月 安藤家・稲葉家を従属させる。氏家家の臣従化に成功。
1559年9月 安藤家・稲葉家の臣従化に成功。
1559年10月 一大勢力・武田家から不戦協定締結の使者が来訪。これを快諾する。
1559年11月 浅井家の打診により三好家から独立した本願寺・安宅家・阿波細川家と不戦協定締結。
1559年12月 本願寺を従属させる。
1560年1月 本願寺の臣従化に成功。安宅家を従属させる。
        浅井家の打診により根来衆・雑賀衆・湯川家と不戦協定締結。
1560年2月 浅井家、三好家と和睦。不戦協定を締結する。
        安宅家の臣従化に成功。阿波細川家・朝倉家(!)を従属させる。
1560年3月 三好家、浅井家に降伏。三好家に従属要求、三好家は浅井家に従属した。
        浅井家の打診により一条家・本山家・新開家・一宮家・大西家・香川家と不戦協定締結。
        大友家に不戦協定を提案するが、却下される。
        九鬼家・雑賀衆を従属させる。阿波細川家・朝倉家・富樫家・堀江家の臣従化に成功。
1560年4月 浅井家の打診により大内家と交戦中の大友家と不戦協定締結。
        一宮家・新開家・根来衆・河内畠山家を従属させる。
      三好家・九鬼家・雑賀衆・安富家・十河家の臣従化に成功。
1560年5月 本山家・大西家・香川家を従属させる。
        一宮家・新開家・根来衆・河内畠山家・日和佐家・来島村上家の臣従化に成功。
        この時点で畿内制圧達成。ついに大名家筆頭に上り詰める。
1560年6月 本山家・大西家・香川家の臣従化に成功。一条家を従属させる。
1560.8

1560年8月の美濃・尾張周辺地図。織田・斉藤を下した武田家がどっかりと座り込む。


1560年8月の能登・越中周辺地図。斉藤家の吸収による領土拡大はここまで及んでいる。

●第3mission『三好家攻略』達成
4年2ヶ月にわたる浅井家と三好家の間の畿内の覇権争いは、武将差を跳ね除けた浅井家が三好家を降伏させる形で終結した。
この間に、山城・大和・河内を直轄地化し、摂津もほぼすべてが直轄地、堺や紀伊までその勢力範囲を伸ばす。
三好家に従っていた勢力は、大和・摂津・山城・河内の勢力以外は多少大友家・大内家に掠め取られたもののほぼ全てを浅井家が吸収合併する形で決着。
三好家は畿内よりほぼ完全に撤退。畿内の一部と四国にその勢力を残す形となった。
この間に、大陸情勢も大きく動きを見せ、情勢は徐々に変化を見せている。
斉藤家の一部を浅井家が合併したほか、朝倉家の勢力範囲を臣従化によってそっくりそのまま支配下におさめる。
これにより、勢力範囲は畿内だけでなく、四国・北陸へも伸びることになった。
丹波・摂津に多少大内家の勢力が存在するが、中央はほぼ完全に支配化に収まる。同時に、支配国数は狭いながら総石高で大陸筆頭大名家にまでのし上がる。

これで、天下統一への準備は整った。

●第4Mission『東国支配』
三好家を下したことで畿内は浅井家の手中に収まり、天下に号令するだけの地盤は整った。
後は、西方・東方へ進出し他勢力を自国の傘下に収めることが目的となる。
その第一目標を、第二勢力『武田家』とする。

この時点で西国の雄大内家と大友家、東国の雄武田家と北条家が、それぞれ西国・東国の覇権をかけて戦線を開いている。
西の大内家と大友家は勢力互角、ともに約300万石。
東の武田家と北条家は武田家優位、武田家約550万石+織田家約60万石、北条家約390万石。
問題は、どちらの覇権争いに参戦表明をするかということだが・・・。
西は総石高が約600万石、対して東は1000万石超。
さらに西にかまけていると北条家を飲み込んだ武田家、時の勢いを得た大友家か大内家に挟まれるのは必定か・・・
北条家と特別同盟しているわけではないので、東の情勢は三つ巴の戦い、ということになる。

新たに北陸方面軍団を組織。本隊は伊勢・美濃、別働隊は加賀から武田家を攻略する。
武田家に従属している織田家は本隊が北条家と対峙中であり、放っておいても来ないと思われるが・・・
やはり厄介なのである程度所領を奪っておくことにする。
別働隊はCPU操作になるが、攻略目標を越中・能登・飛騨・越後に定める。
本隊はまず美濃を攻略し、信濃へ進出するための足場を作る。
北条家は別働隊の進路を見て、同盟と敵対を状況次第で判断することにする。

武田家は大きくなりすぎたのだ。



1560年8月における勢力別順位(10位以下の臣従除く)
勢力順位(支配率) 22737773/総石高
臣従含石高順位 上:直轄石高 中:臣従含 下:直轄城
☆浅井家(↑4) 12.02%
24.94%
9.7%
2733653
5670904
58
武田家(↓1) 10.53%
24.05%
10.03%
2393663
5469517
60
北条家(←) 10.63%
16.9%
8.19%
2416517
3842401
49
大内家(↓2) 4.99%
13.32%
7.02%
1134558
3029205
42
大友家(↓1) 7.16%
12.58%
7.86%
1626996
2860060
47
朝倉家(↑2) 3.43%
3.43%
2.68%
780953
780953
16
織田家(←) 2.71%
2.71%
1.67%
616758
616758
10
三好家(↓2) 2.31%
2.31%
2.34%
526355
526355
14
千葉家(↑1) 2.12%
2.12%
2.17%
482562
482562
13
阿蘇大宮司家(↑1) 1.62%
1.62%
1.51%
369185
369185
9

朝倉家・三好家は浅井家に臣従、織田家は武田家に臣従、千葉家は北条家に臣従、阿蘇大宮司家は大友家に従属。
中央を巡る情勢に、大きな変化があった。
浅井家が、三好家を下し、畿内を手中に収めたのである。
1559年以後、大内家・大友家の軍事介入などが要因で急速に大和・摂津・河内を押さえた浅井家が三好家に降伏勧告をし、三好家がそれを受託したのである。
ここに、4年2ヶ月にわたる中央部の覇権闘争は終結した。

また、東国、西国でも勢力図に大きな変化が見られている。
西国では阿蘇大宮司家、島津家を押さえ込んだ大友家が、大内家に宣戦布告、西国の覇権をかけた進退を演じる。
東国では武田家の集中攻撃を受けることになった斉藤家が急速に衰退し、その多くが武田家に合併されることになった。
また、朝倉家も畿内で強大化した浅井家の従属勧告を受け入れ、浅井家の筆頭大名家としてその名を残すことを選ぶ。
織田家も武田家・北条家に集中攻撃を受け、武田家に従属した。
ここに大陸は五分され、各々が国の存亡をかけた一大決戦を繰り広げる。
いち早く中央の覇権を手にした浅井家は、西進するのか、東進するのか・・・

ここに来てベスト5を除いたすべての勢力が、浅井家・武田家・北条家・大友家・大内家に従属、または臣従する情勢になった。
首位と第二勢力の浅井家と武田家は石高的にも拮抗しているが、直轄地という面では経済力が高い畿内を押さえる浅井家が有利。
北条家はその二勢力の中間に板ばさみになる。直轄地では武田家を上回るが、果たして・・・

大内家と大友家も勢力的には拮抗している。
しかし、直轄地で大友家に50万石後れを取る大内家が多少不利か・・・?
六位以下の従属大名家では筆頭が浅井家臣従の朝倉家。
その後を武田家従属織田家、浅井家臣従三好家、北条家臣従千葉家、大友家従属阿蘇大宮司家と続く。

戦国の世が激動の時代に入って10年。数多の勢力が台頭し、そして消えていった。 その中で実力が全ての戦国の世を勝ち抜き、天下に名乗りを上げた武田家・武田信玄、北条家・北条氏康、大内家・大内義隆、大友家・大友義鎮、そして浅井家・浅井久政・・・
これまで戦うことを避けてきた群雄たちが、ついに互いの家の存亡、そして天下の覇権をかけて対峙する。
天下の行き着く先は、いまだに暗闇に包まれたままである。
浅井家の歴史(1560.8〜1563.10)
1561年1月 浅井家、武田家との不戦協定を解消。攻撃開始。
1561年9月 越中・能登・美濃地方の攻略により武田家と浅井家、総石高逆転。
1562年1月 浅井家・北条家と交戦中の武田家より和睦、不戦協定締結の使者が来訪するが、却下する。
        これ以前にも武田家からは幾度となく不戦協定締結の使者が来訪しているがそのつど却下している。
1562年10月 星合家残党が浅井家領・松坂城に武装攻撃を開始する。
      浅井家、星合家の叛乱を鎮圧する。
1563.10

1563年10月の飛騨・信濃周辺地図。越中、富山城・魚津城間で北陸方面軍同士のにらみ合いが続いている。


1563年10月の遠江周辺地図。本隊は武田家に臣従した織田家を滅ぼし、美濃で敵軍をひきつけながら遠江まで進出している。

●第4Mission『東国支配』遂行中
北陸方面を部隊を動かして制圧、南方は本隊がじわりじわりと進軍・・・
こんなことを続けているうちに気づけば3年の月日が流れていた。
本隊は2部隊ながら精鋭が揃っており、じわりじわりと美濃・尾張の攻略に成功している。
現在は捕虜から新たに1部隊を組織し、美濃前線防衛に一隊、駿河攻略に2部隊を配し、攻撃を続けている。
北陸攻略軍は思わぬことに自動で軍船を作らない(!)ために、海に面した越中・能登の攻略に思いのほか手間取っている。

このような中、なかなか武田家の城を攻略できず苦戦する北条家から同盟締結の使者が来訪する。
三つ巴となって覇権を争っても勝つには勝てるが北陸方面軍がこの調子では時間がかかる・・・
そういう背景もあってこの提案を承諾し、北条家と不戦協定を結ぶ。
ここに、浅井家・北条家連合vs武田家という構図が成立した。

西方、大友・大内戦線は九州を制する大友家が若干有利か。
こちらの大局が決する前に武田、そして北条を下して東国の覇権を確立せねばならない。
3年間あまり動きを見せていないな西方戦線だが、いつその均衡が破られるのかはわからない。
武田家の攻略を、急がねば・・・

キリがよく三河までを制圧したので、遠江へ出ず本隊を信濃へと動かす。
美濃で防衛隊が頑張っており、何とか美濃への盛り返しを防いでいるが、なかなか慌しく動き回っている。
その防衛隊を救援し、そのまま信濃へ流れ込み武田家の本国・甲斐や遠江の攻略を目指す。
ここで信濃で暴れれば北陸方面軍にも何らかの動きがあるだろう、と淡い期待を寄せているものの・・・
軍船がなくて3年間能登・越中でとどまった手前、あまり期待はしていない。

とにかく、武田家の勢いを削ぐのが目的である。勢いさえ削げば、後は臣従なら飼い殺しなりでどうにでもなる(悪)



1563年10月における勢力別順位(10位以下の臣従除く)
勢力順位(支配率) 23237180/総石高
臣従含石高順位 上:直轄石高 中:臣従含 下:直轄城
☆浅井家(←) 21.12%
33.74%
17.76%
4907385
7840198
106
武田家(←) 11.87%
21.8%
11.22%
2757757
5066134
67
大内家(↑1) 5.83%
13.51%
8.21%
1353803
3138283
49
大友家(↑1) 7.89%
12.63%
8.54%
1834245
2935583
51
北条家(↓2) 7.83%
12.63%
6.2%
1819679
2933870
37
朝倉家(←) 3.22%
3.22%
2.51%
749337
749337
15
三好家(↑1) 2.38%
2.38%
2.35%
553522
553522
14
千葉家(↑1) 2.2%
2.2%
2.18%
511804
511804
13
阿蘇大宮司家(↑1) 1.71%
1.71%
1.51%
396817
396817
9
佐竹家(↑1) 1.51%
1.51%
1.17%
351933
351933
7

朝倉家・三好家は浅井家に臣従、佐竹家は武田家に臣従、千葉家は北条家に臣従、阿蘇大宮司家は大友家に従属。
東の武田家・vs浅井家、武田家vs北条家の情勢に、変化が訪れる。
近江・加賀から二方面作戦を展開する浅井家と関東から武田家を攻める北条家が、不戦協定を締結したのである。
これにより、東方では浅井家・北条家対武田家という構図が成立する。
美濃・尾張・能登を制覇し、駿河・越中に攻め入る浅井家と関東から武田家を攻める北条家の連合軍が勝つのか。
はたまた苦境を跳ね返し武田家が浅井家・北条家連合を打ち倒すのか。
東国の覇権をかけて争う三勢力の対決が、面白いものになってきた。

一方、西国の覇権をかけて開戦した大内家と大友家の戦い。
同程度の国土差で始まった戦であるが、大友家が3年かかって九州から大内家を撤退寸前に追い込んでいる。
互いに従属国を抱え込んでいるため、いつ従属国が独立してもおかしくない状況にあって、状況はどう移り行くのか。
大内家が本土から九州へ盛り返すのか、それとも勢いをつけつつある大友家がそのまま本土へ流れ込むのか。

石高別統計では、浅井家が急激に『直轄石高』を増やしている。
それに比べ武田家の石高があまり減っていないのは武蔵など、東海道で北条家を攻めているのもある。
すなわち、形的には『浅井家が北条家の領地を攻略する』ような構図が出来上がってしまっている。
北条家は、この劣勢をいかに覆すか・・・

大友・大内戦線も、大友家の山陽の飛び地であった『旧毛利領全て』を大内家が、大内家の九州の攻略拠点であった『豊前杉家領ほぼ全て』を大友家がそれぞれ奪う形となっている。
結果的に互いに後顧の憂いを立った状態である。(四国から進軍するルートは互いに不戦協定を結ぶ浅井家の飛び地があり侵攻不可)
別働隊を動かした大内家の動きが、互いの戦況にどう影響してくるのか・・・

西と東、二つの対戦構図と今後の流れに目が離せない。
浅井家の歴史(1563.10〜1567.1)
1563年10月 北条家から不戦協定締結の使者が来訪。これを快諾する。
        この時点で浅井・北条連合軍対武田家の構図が完成する。
1564年1月 浅井家・北条家と交戦中の武田家より和睦、不戦協定締結の使者が来訪するが、却下する。
1564年2月 浅井家・北条家と交戦中の武田家より和睦、不戦協定締結の使者が来訪するが、却下する。
1564年3月 浅井家・北条家と交戦中の武田家より和睦、不戦協定締結の使者が来訪するが、却下する。
1564年4月 浅井家・北条家と交戦中の武田家より和睦、不戦協定締結の使者が来訪するが、却下する。
1564年5月 浅井家・北条家と交戦中の武田家より和睦、不戦協定締結の使者が来訪するが、却下する。
1564年12月 羽床家残党が三好家領・羽床城に武装攻撃を開始する。羽床資治、別所家より内応。
1565年2月 浅井家・北条家と交戦中の武田家より和睦、不戦協定締結の使者が来訪するが、却下する。
1565年5月 浅井家・北条家と交戦中の武田家より和睦、不戦協定締結の使者が来訪するが、却下する。
1565年7月 佐竹家、武田家より独立。このころより武田家から独立大名家が出始める。
1565年9月 羽床家残党、羽床城を奪還。お家再興に成功。
1565年10月 浅井家の打診により再興した羽床家、武田家より独立した佐竹家と不戦協定締結。
        浅井家、北条家を従属させる(!)
1566年6月 筒井家残党が浅井家領・信貴山城に武装攻撃を開始する。
(年月不明) 浅井家、筒井家の叛乱を鎮圧する。
1566年9月 江戸太田家・藤田家・葛山家の臣従化に成功。
1566年11月 千葉家・土気酒井家・真里谷武田家・小弓足利家・海上家・水谷家の臣従化に成功。
1566年12月 東北の武田家旧臣、大挙して武田家より離反、独立する。
        浅井家、武田家と和睦する。
        浅井家の打診により中条家・新発田家・那須家・大宝寺家・南部家・葛西家・田鎖家・大浦家・留守家・陸奥斯波家・矢島家・本庄家と不戦協定締結。
1567年1月 武田家、浅井家に降伏。
        武田家、浅井家の従属勧告を受諾。浅井家に従属。
        開戦からちょうど7年にわたる浅井家史上最大の決戦は浅井家の単独勝利で終末を迎えた。
        北条家・足利長尾家・由良家・江戸家・佐野家・結城家の臣従化に成功。
        新発田家・佐竹家を従属させる。
1567.1

1567年1月、武田家従属&北条家臣従直後の外交フェイズにおける自国外交状況。黄緑の山である。

●第5Mission『東国支配』完遂

ついに、武田家を下すことに成功した。
本隊が信濃→遠江→甲斐→相模・駿河→武蔵と南下し、北陸方面軍は越中・信濃→上野・越後と攻略していく。
途中、北陸方面軍は武田家北陸方面軍の奇襲に遭ったり、本隊は一時期武田家別働隊の三河侵入を許すなど苦戦した局面もかなり多かった。
しかし、甲斐を攻略のあたりから余っていた別働隊を近畿へ動かし、半年以上かけて総計200以上に及ぶ軍船を東海道に呼び寄せた。
これで海路封鎖が可能になり、進軍ペースが飛躍的に上昇した。
併せて北陸方面軍も衰退の兆しを見せ、北陸・越中攻略軍も次々と越中の諸城を攻略していく。
こうして、南は東海道・武蔵から美濃まで、北は能登から越中・上野・信濃まであった武田家・武田家旧臣の所領はすべて浅井家が奪取した。

併せて、途中で従属勧告をけしかけた北条家(信長が使者とはいえまさか一発で従属しようとは・・・)を武田家従属の1567年1月に完全に支配下におさめる。
これで、1566年12月に退去して武田家から離反した東北の諸侯を除き、畿内から東国一帯はすべて浅井家のものとなった。
後は、独立した諸侯を吸収し、頑なに不戦協定を拒む本間家を打ち倒せば、東国支配は完全に成る。

●Last Mission『天下平定』

東国支配という大業を成し遂げたことで、天下の半分は浅井家の傘下に収まった。
これにより、残る勢力は東国平定を成し遂げた浅井家、西国の覇権をかけて争う大内家・大友家の三つとなった。
大友家、大内家共に総石高は今の浅井家の三分の一にも満たない小勢力。
そのため、下手に戦線を開くよりは外交を使って傘下に収めることを考えたい。

大友家とは四国、大内家とはかなり広範囲にわたり隣接しており、移動が大変な点。
九州と本州・四国を繋ぐ水路では混雑するため軍団が役に立たないという点。
さらに、元からの軍船数がかなり少ないという点。
これらの浅井家の現状から見るに、決して大内・大友攻めが有利に働くことはない。
何も羽柴秀吉の島津征伐のように無理して征伐に向かう必要はない。
外交の主導権は、もはやこちらが握っているのだから。



1567年1月における勢力別順位(10位以下の臣従除く)
勢力順位(支配率) 23227869/総石高
臣従含石高順位 上:直轄石高 中:臣従含 下:直轄城
☆浅井家(←) 31.39%
55.88%
26.77%
7291829
12980396
159
大内家(↑1) 5.83%
13.49%
8.42%
1354129
3133261
50
大友家(↑1) 8%
12.76%
8.59%
1857270
2963721
51
北条家(↑1) 7.08%
7.08%
6.06%
1644596
1644596
36
武田家(↓3) 3.8%
3.8%
3.7%
883153
883153
22
朝倉家(←) 3.24%
3.24%
2.53%
752250
752250
15
三好家(←) 2.35%
2.35%
2.19%
545873
545873
13
千葉家(←) 2.22%
2.22%
2.19%
514702
514702
13
阿蘇大宮司家(←) 1.72%
1.72%
1.52%
399938
399938
9
佐竹家(←) 1.51%
1.51%
1.18%
351780
351780
7

北条家・朝倉家・三好家・千葉家は浅井家に臣従、武田家・佐竹家は浅井家に従属、阿蘇大宮司家は大友家に従属。
東の覇権が、定まった。
浅井・北条連合が武田家を打ち破り、武田家、そして同盟国であった北条家を心服させた浅井家が、東国の平定に成功した。
これにより、天下の半分以上の大名家は浅井家に臣従することとなる。

一方、西方の戦線はいまだに動きを見せない。
大内家の激しい抵抗のために大友家はなかなか豊前から先に進むことが出来ず、九州平定が成らない。
一方大内家も大友家の激しい攻勢の前に防戦一方で、双方とも互角の戦いを見せている。
そのため一向に西国の覇権が定まらない。

東の大部分を制した浅井家は、今や支配下となった武田家から独立した東北の武田家旧臣達の叛乱を鎮圧し次第西方への進撃を開始するはずである。
浅井家という強大な共通の敵を抱え込む事となった西国の雄、大友家と大内家はこの苦境をどうやって跳ね返すのであろうか。
それとも、天下はこのまま浅井家の元に定まってしまうのか。

とにかく、浅井家の躍進には特筆すべきものがある。
4年間で総石高約250万石、臣従込みでは約450万石も支配域を延ばしている。
一方、大友家、大内家はこの四年間、石高に殆ど変化が起きていない。
多少、城の数に変化が見られるだけで、それ以外は全く変わっているところがない。

従属家筆頭は、これまでその地位を確かにしていた朝倉家から、一度の交戦もなくそっくりそのまま臣従した北条家が取って代わった。
また、浅井・北条連合と交戦を続け、ついには浅井家の従属勧告を呑んだ武田家だが、それでも臣従家総石高では2位に位置している。

応仁の乱より長く続いた世の混迷は未だ終末を迎えない。
しかし、これだけはわかる。

『この戦いが、本当に最後なのだ』と――――――
浅井家の歴史(1567.1〜1570.2)
1567年2月 武田家・佐竹家・新発田家・蘆名家・伊達家・小野崎家・相馬家・岩城家・国分家・大崎家・和賀家の臣従化に成功。
        大宝寺家・留守家・葛西家・中条家・那須家を従属させる。
1567年3月 大宝寺家・留守家・葛西家・中条家・那須家・大槌家・安東家の臣従化に成功。
        矢島家・田鎖家・大浦家・南部家・陸奥斯波家を従属させる。
        佐渡で独立を維持していた本間家、北陸方面軍により滅亡する。
1567年4月 矢島家・田鎖家・大浦家・南部家・陸奥斯波家・九戸家・陸奥北畠家・蠣崎家の臣従化に成功。
        東国に残る全ての大名家を傘下に収めたため、東国平定。
1567年5月 大内家・大友家に従属勧告をするが、却下される。
        浅井家、大内・大友家征伐を決意。
1567年6月 江馬家残党が浅井家領・高原城に武装攻撃を開始する。
1567年8月 笠間家残党が北条家領・笠間城に武装攻撃を開始する。
        笠間家、本丸陥落により笠間城を奪還(守備兵0)。お家再興に成功。
        浅井家、江馬家の叛乱を鎮圧する。
1567年9月 浅井家、叛乱に成功した笠間家の本城・笠間城を攻略。笠間家の叛乱を鎮圧。
1568年3月 奥平家残党が浅井家領・作手城に武装攻撃を開始する。
(年月不明) 奥平家、本丸陥落により作手城を奪還。お家再興に成功。
1568年4月 浅井家、大友家・大内家との不戦協定を解消。
        妻鳥家・但馬山名家・備前浦上家・荒木家・別所家・赤井家・香西家、主家を大内家から浅井家に鞍替えする。
        浅井家、一度大友家・大内家と和解する。
1568年5月 妻鳥家・但馬山名家・備前浦上家・荒木家・別所家・赤井家・香西家の臣従化に成功。
        大内家、浅井家の従属勧告を受け入れ、浅井家に無条件降伏。
        浅井家、大内家に臣従していた因幡山名家・萩野家・八木家・田結家・赤松家・英賀三木氏・小寺家・金光家・後藤家の臣従化に成功。
1568年6月 大内家・原田家・蜂塚家・清水家・和智家・赤穴家・三沢家・陶家・内藤家・佐波家・吉見家・益田家・福屋家の臣従化に成功。
1568年8月 三刀屋家から臣従志願の使者が来訪。これを受諾する。
1568年10月 浅井家、大友家との不戦協定を解消。
        河野家、主家を大友家から浅井家に鞍替えする。
1568年11月 河野家の臣従化に成功。
        毛利家、主家を大友家から浅井家に鞍替えする。
1568年12月 毛利家の臣従化に成功。
1569年1月 播磨浦上家残党が備前浦上家領・室津城に武装攻撃を開始する。
1569年4月 浅井家の打診により、大内家から独立した諸侯と不戦協定を締結する。
       (一万田家・志賀家・土持家・阿蘇大宮司家・高橋家・松浦家・大村家・有馬家・宇久家・小原家・菊池家・隈部家・島津家・問註所家・星野家・黒木家・上蒲池家・下蒲池家・田尻家)
        佐伯家から臣従志願の使者が来訪。これを受諾する。
1569年5月 一万田家・土持家を従属させる。
1569年6月 一万田家・土持家の臣従化に成功。
        志賀家を従属させる。
1569年7月 志賀家の臣従化に成功。
        阿蘇大宮司家を従属させる。
1569年8月 清武城で軍船が204駐留するという珍しい事態が発生(汗)
        豊洲島津家、主家を大友家から浅井家に鞍替えする。
        豊洲島津家・阿蘇大宮司家・星野家の臣従化に成功。
        島津家・隈部家・菊池家・高橋家・小原家・問註所家・黒木家・上蒲池家を従属させる。
1569年9月 島津家・隈部家・菊池家・高橋家・小原家・問註所家・黒木家・上蒲池家の臣従化に成功。
        下蒲池家・田尻家・有馬家を従属させる。
1569年10月 下蒲池家・田尻家・有馬家の臣従化に成功。
        大村家を従属させる。
1569年11月 大村家の臣従化に成功。
        松浦家を従属させる。
        播磨浦上家、兵糧攻めにより室津城を奪取。お家再興に成功。
1569年12月 松浦家の臣従化に成功。
        宇久家を従属させる。
1570年1月 大友家、浅井家に降伏。
        大友家から従属志願の使者が来訪。これを受託する。
1570年2月 大友家・宇久家の臣従化に成功。
        残存勢力は波多家・播磨浦上家・奥平家のみとなった。
1570.2

1570年2月開始直後における浅井家勢力分布。3つの城を除き、全ては浅井家の支配下にある。

●Last Mission『天下平定』完遂

浅井家が、最後の抵抗を試みた大内家・大友家連合を、彼らの天下平定もろとも粉砕した。
浅井家からの降伏勧告を呑まなかった両家に対し、同時に宣戦布告する。
このとき、大内家から多くの勢力が浅井家に寝返ったため、彼らの恭順のために一度和睦する。
寝返った勢力を完全に恭順させた後、もう一度両家に対し降伏勧告を出す。
多くの勢力が寝返ったためか大内家は従属勧告を呑むが、大友家は頑として抵抗の姿勢を崩さない。

戦の準備が十分に整ったところで、改めて大友家に宣戦布告。
本隊は四国から、別働隊は本州から九州に上陸。
本隊上陸戦の前に殆どの臣従・従属家が主家・大友家に対して反旗を翻したために、とんとん拍子に制圧が進んでいく。
途中、軍船が一拠点に204存在するという事態もあったが、さしたる抵抗もなく大友家は衰退。
開戦から一年半で、大友家は城の半分以上を奪われ、ついには浅井家に従属する。

これにより、天下に残るは浅井家に対しお家再興と牙を向けた播磨浦上家と奥平家、浅井家に対して断固抵抗の姿勢を見せる波多家の三勢力のみとなった。
これら三勢力も、場所は違えど城はひとつ。浅井家に抵抗するにはあまりにも小さすぎる。
何より大きいのは当主が不在である事だ。これではただの叛乱である。
1年たたずして、この叛乱は鎮圧されるだろう。



1570年5月における勢力別順位(10位以下の臣従除く)
勢力順位(支配率) 23308700/総石高
臣従含石高順位 上:直轄石高 中:臣従含 下:直轄城
☆浅井家(←) 35.84%
99.73%
32.44%
8354677
23244689
194
北条家(↑2) 6.92%
6.92%
5.85%
1612313
1612313
35
大内家(↓1) 5.84%
5.84%
8.36%
1360741
1360741
50
大友家(↓1) 3.87%
3.87%
3.85%
901199
901199
23
武田家(←) 3.75%
3.75%
3.68%
873678
873678
22
朝倉家(←) 3.22%
3.22%
2.51%
750600
750600
15
三好家(←) 2.34%
2.34%
2.17%
544378
544378
13
千葉家(←) 2.18%
2.18%
2.17%
507119
507119
13
阿蘇大宮司家(←) 2.13%
2.13%
1.84%
495786
495786
11
島津家(↑3) 1.68%
1.68%
1.84%
391979
391979
11

浅井家を除く全ての勢力が、浅井家に臣従。
天下は浅井家の元に統一され、浅井久政が、天下を統べる覇者となった。
残る暴動を鎮圧すれば、完全に天下は浅井家のものとなる。もはやどの勢力も、抵抗を試みる気すらしないだろう。

最終的に、天下の十大勢力の統治する城は、このように分布した。

浅井家は畿内〜甲信越にかけてかなり広い範囲に本城が存在する。
この法外な直轄石高の数値は経済力も高く肥沃な機内の土地の大部分を直轄支配しているところが大きい。
他、九州に多少飛び地が存在するが、これは大友征伐のときに手に入れたもので、そこまで石高は多くない。

北条家も肥沃な関東平野に勢力を展開するため、経済力と石高はかなり高い次元にある。
武田家に侵食されたために多くの土地が奪われてしまったものの、それでも浅井家家臣筆頭としての地位を確かなものにしている。

大内家は初期に存在した二つの城がとられていないのが特徴的。
城の殆どは中国地方で、このあたりは国力も対して大きくないために城の数こそ多いが力はさして大きくない。
浅井家のように城が一点に集中して存在しているのが特徴的である。

大友家は、浅井家に九州〜四国に渡って存在していた多くの直轄領を奪われている。
北九州に残る程度だが、それもばらばらで領地同士が繋がっていない。領地支配が大変なパターンである。

しかし、その大友家よりさらに凄惨なのが武田家である。
かろうじて5大勢力にその名を残すが根拠地であった甲信越から終われ、東北にぽつんぽつんと存在する直轄地は、あまりに悲しい。
城は広範囲にわたって存在するが、現実には領国支配はかなり困難である。

朝倉家は越前・加賀の地をそのまま支配している。
領国支配もしやすく、越前加賀は経済力もそこそこあるため、実際は武田家よりも力を持っているだろう。

三好家もまた凄惨だ。
武田家と同様に領地が多方面に散っている。これでは領国支配なんて問題ではない。
支配域が四国と和泉、紀伊とかなり近い範囲なのが唯一の救いか・・・

千葉家はここまで台頭してくるのがかなり珍しい。
支配域も肥沃な関東平野の東であり、所領は分断されているながらもある程度固まっている。
展開次第ではもう少し北に領地を伸ばせたと思われるだけに、真に残念である。

阿蘇大宮司家は九州中部に、島津家は九州南部に所領を持つ。
どちらも一箇所に固まっており、城経路でもほぼ全ての直轄城が(島津家にいたっては完全に)繋がっている。
領国は狭いながら領国支配も容易であろう。難点は石高が低い点か。

全体の傾向として、大勢力は畿内、九州、そして関東に集まっている。
大内家という存在が大きな弊害となる中国地方はともかく、東北、四国地方で統一覇者が出なかったのは残念であった。

(なお、画面はセーブした後このためだけに奥平家に従属し撮影したものである)
浅井家の歴史(1570.2〜)
1570年8月 天下に残る最後の勢力、奥平家の暴動を鎮圧。
        浅井久政、一代で天下統一。その功績を朝廷から称えられ、征夷大将軍に任ぜられる。

以上、20年と4ヶ月(ターン数244)でゲーム終了


浅井家・最終国力データ(1570年8月・人事フェイズにおける数値)
〜基本〜
総石高    2258万9313石
直轄石高   816万1139石
直轄城数   194
臣従大名家数 130

〜軍備〜
武将数    69
騎馬兵数   80980
足軽兵数   316280
城守備兵数  137860
鉄砲配備数  120480
軍船配備数  218

〜国力〜
残資金    15551005
街経済収入  298732
鉱山生産力  26138
航海技術   9328
鉱山技術   349
総交易船数  90


まとめ
今回は鉄砲が非常に力になる展開となった。
まず、南部家のように『群雄割拠』でない場所からのスタートになったところ。
六角家→三好家と、早い段階から自家の力を超える大勢力と戦い続けてきた点によるところが大きい。
特に対六角家では相手の奇襲に悩まされ、どうしても相手に劣る兵力での救援戦になる場合が多かった。
その時に、序盤から余裕のある時にちまちまと貯めていた鉄砲が生きたのである。

三好家戦でも鉄砲は大きな戦果を残し、本隊に十分いきわたった後に、鉄砲はすべて軍団へと回された。
配備された鉄砲は実に12万を数え、如何に鉄砲に頼っていたかが如実に現れている。
尤も、終盤は金が余りに余って生産していたという感があるが・・・

そして今回意外であったのは、自分から一切交易を出していないという点が上げられる。
従来のシナリオでは交易は重要な資金源であった。しかし、序盤における交易の比重がかなり下がったために今回は全くと言って良いほど交易に頼っていない。
まぁ、経済力は他国より群を抜く近江・山城・和泉をほぼ全て自家直轄にしているところも大きいが・・・

さて、新Verになり追加された『海戦』『軍船』『城経路間移動コスト』『城規模制限』であるが。
旧Verと違い攻めがマンネリ化しづらいという点でかなりよい要素だと思われた。
攻略先の城全ての守備兵が3000・・・ などというやる気が出なくなる展開が少なくなり、城攻めも強襲連続が出来ないような配慮がなされているのも良い感じであった。

ただ、CPUに振興・内政と設定しても自分から軍船を作ろうとしないのは痛い。
今回でも中盤、北陸戦線では海路接続されている城に大量の武田家武将が閉じ込められ、かなり長い期間睨めっこを続けたままという展開が見られた。
別働隊として組織する軍団は大抵当主とかなり離れた位置に展開するため、『侵攻』で軍船を製作配備するようになるなどの配慮が欲しいところだというのが正直な要望である。

旧Verと比べてかなり戦略性も上がった『戦国史SE』。
前作とは違いシナリオ製作においてもかなり斬新な作り方が出来そうな予感がプレイ中にも伝わってきた。
戦国史本体と、在野オリジナルシナリオの今後の更なる発展が楽しみである。
(気づけばこの行で総テキスト行数が2000。 ・・・よく頑張った私。)